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2018年5月

2018年5月31日 (木)

「サーブのトスイップスになってしまったら…」

テニスでよく知られるのはサーブイップスだ。 とくに話題となったのは、1999年の全豪オープン。 女子シングルスでロシアのスター選手のアンナ・クルニコワ(←女子テニス界の妖精)がサーブのミスを連発した。 1回戦でダブルフォルト23回、2回戦でダブルフォルト31回、3回戦でダブルフォルト14回。 合計68回のダブルフォルトを出す乱調ぶりだった。 このとき会場は何が起こったのだとどよめきで騒然となった。 クルニコワはそれでも3回戦まで進んだのだから、なかなかの実力者だ。 僕はこの試合をテレビで観ていたが、イップスのことをまだ知らなかった…。             つづく

2018年5月29日 (火)

「練習」・その参

やった分だけ対価を得られると思わない方がいいわけだ…。 そこを上手く切り替えられない人がイップスになる(←僕)。 イップスになったら取るべき対策に休むという選択肢がある(僕は仕事だから休めないけれど)。 この時期は、練習をやらなくても状態が変わらないので、休んだからといって下手になることはない。 ゴルフにはツアー中に殆(ほとん)ど練習をしないプロがいるという。 練習量が1万時間以上を超えると、イップスの発症も比例して増えていく…。 今回も『イップス -魔病を乗り越えたアスリートたち-』より。              おしまい

2018年5月24日 (木)

「練習」・その弐

日本経済でも、ある時期まで右肩上がりで行ったが、ある段階から横ばいになる。 右肩上がりは、練習をやればやるほど上手くなる時期だ。 だが1万時間を過ぎて横ばい期になったら、自分は練習しているのに上達しないという葛藤(かっとう)が出てくる。 努力に見合う対価が得られない。 もがけばもがくほど、その対価を得られない自分に苛立ちが生まれてくる。 今の自分は「横ばい期」にあるという認識を持つことが必要だ。 調整段階に入ったら、いかにコンディションを高めるかという考え方に変化させる。 ある一定の段階から、勝敗を分けるのは練習をやった量ではないことに気づく必要が出てくる。              つづく

2018年5月23日 (水)

「練習」・その壱

仕事で一人前になるには「石の上にも三年」という言葉があるが、スポーツ、音楽ではその道のエキスパートになるまでに1万時間かかると言われている。 これを「一万時間の法則」と呼ぶ。 イギリス生まれのノンフィクションライターのマルコム・グラッドウェルが2008年に著作『天才!成功する人々の法則』で提唱した言葉だ。 音楽家やチェスのプレーヤーなど成功者の多くは、1万時間訓練を続けていたというもので、年数に換算すれば1日3時間の練習で10年間になる。 練習量が1万時間を超えると、調整の段階に入るという。 1万時間に到達するまでは、練習をやればやるほど上手くなるが、そこを超えてしまうと、練習している意味はあまりなく、練習量を取る必要はあまりないのだという。              つづく

2018年5月22日 (火)

「人生観」・その参

続けます。 『イップスも選手として稼げなくなったりと不安はありますが、ある程度のラインまで来たら、なって良かったとたぶん思うのではないでしょうか。  人間として得たものが大きいというか、成長したというか、深みが出たというか、他人への思いやりが出たとか、あると思うんです。 だから今悩んでいる選手には、そんなに悪いものでもないよと言ってやりたい。』 そんな「人生観」を淡々と語る佐藤プロを、僕は尊敬している。            おしまい

2018年5月18日 (金)

「人生観」・その弐

回想…。 『これはもう選手としてならないに越したことはないんでしょうけどねぇ。 僕はね、なって良かったと思っているんです。 ゴルフのイップスの苦しみって、他のスポーツでも同じだし、他の職業だとイップスではないけど、悩みや苦しみはみな同じわけです。  がん患者さんにしてもそうだと思います。 僕らは命の瀬戸際に立たされたわけではないですから、がんの人たちより軽いと思いますが、でもなっていく過程やそこから道を開いていくところは似ているのではないかと思います。 命のありがたみを知って、味わった世界があって、がんになって良かったと言われる方もいる。』            つづく

2018年5月15日 (火)

「人生観」・その壱

ようやく『イップス -魔病を乗り越えたアスリートたち-』を読了。 もともと僕は「遅読派」なので、本を読むペースがかなり遅いけれど、この本は別格だった。 相当な時間を費やした(こんなに本を真剣に読んだのは、僕の人生で初めてかもしれない)。 この本に導いてくれた「テニスの神様」に感謝したい。 この本を読み終えた後の一番の収穫は、僕はこの魔病に罹(かか)って良かったんだと思えるようになったこと(僕はまだ克服していないけれど…)。 ここに佐藤信人氏(←プロゴルファー)の回想を記しておきたい。 佐藤プロは1970年生まれで(僕と同世代だ)、現在は解説者として活躍している。 選手の頃の僕(←三流)と違って、超一流のトッププロだ。             つづく

2018年5月11日 (金)

「スポーツ」≒「人生」

名監督、名コーチ、名トレーナーは言う。 「試合は練習のように打ち、練習は試合のように打て」と…。 至極、名言だと思う。 すっかり「ラインマン」になってしまった僕の「トミー・スタンプ」には、謎の動物(←それは兎と人間のハイブリッドに見えるが、オス(男)なのか、メス(女)なのか、よく判らない。トミーだから、たぶんオス(男)なのだろう)が、うようよしている。 彼(彼女)は言う。 「練習は本番のように、本番は練習のように」と…。 至極、名言だと思う。 「スポーツ」と「人生」は繋がっている。 逆に言うと、繋がらないと意味がない…。

2018年5月10日 (木)

「テニスの神様」・最終回

自分に腹が立つ…。 選手の頃は、強かったけれど、下手だったから。 僕がイップスになった時(←コーチ)の全能感は半端なかった(←上手だから)。 この本のおかげで、僕はまた生まれ変わるだろう。 僕がまだコーチ生命を絶たれていないのは、コーチになってから発症したからだ。 選手の頃になっていたら、選手生命を絶たれていたことだろう。ということは、現在はテニスコートに立っていないはずだ。 逆説的に言えば、選手の頃にイップスにならなかった自分に腹が立つ(←下手だったから)。 いい人生を…。LOVE♡             おしまい

2018年5月 8日 (火)

「テニスの神様」・その参

続けます。 『なかなか人は自分の弱さを語ろうとはしない。 それがイップスの症状を閉ざされたものとし、より深刻な状況に追い込んでしまっている。 すべての苦しみと同じく、イップスに罹った人がどう生きたかを知らせることが大きな意味を持つ。 そのことで今苦しんでいる人は孤独でなくなる。 解決はそこから始まる。 イップスは形を変えれば人生の試練そのものである。 そこでどうもがき、どう生きたかを知ることは、私たちの人生そのものの生き方を問うことと同じである。』             つづく

2018年5月 7日 (月)

「テニスの神様」・その弐

残念なことにイップスになってしまった人も、幸いなことにイップスになっていない人も、この本はオススメです(ヒューマン・ドラマだから)。 原文より…。 『人は誰しも生きている限り、試練に遭う。あるいは修羅を抱えて生きなければならないこともある。 イップスもその一つである。 何という理不尽な症状に、前触れもなく、自分だけが襲われなければいけないのか。 それは選手生命の終わりを意味することもあり、その絶望、怒り、悲しみは尋常ではない。 何とかして解決の糸口を藁(わら)にもすがる思いで掴(つか)みたいというのが本音であろう。 そのとき人はどういう選択肢を取るか。 絶望して自己の運命を呪うか、僅(わず)かな光明でもそこに可能性を見出し、全力で立ち向かっていくか、克服していくか、克服はできなくても、新しい方法や生き方を模索し、そこに意味を見出すことができるのか、それも人それぞれである。』             つづく

2018年5月 2日 (水)

「テニスの神様」・その壱

ある日、僕はジュンク堂(←大泉学園駅前のゆめりあの中の本屋)で立ち尽くしていた。 『イップス -魔病を乗り越えたアスリートたち-』が、僕がやってくるのを待っていたかのように、僕のことを手招きしている。 後光がさしている(澤宮優の著)。 待ち合わせまでにまだ時間があったから、ただ何気無しにフラッと立ち寄っただけなのに…。 どうやら「テニスの神様」に導かれたみたいだ。 パラパラとページを捲ると、岩本勉(元日本ハムファイターズ投手)、土橋勝征(元ヤクルトスワローズ内野手)、森本稀哲(元日本ハムファイターズ外野手)、佐藤信人(プロゴルファー)、横田真一(プロゴルファー)のドキュメントが連なっている。 「はじめに」を何べんも何べんも読み返しているせいで、まだ読み終わっていない。 少し長くなるけれど、僕の心の琴線に触れたところを録しておきたい。             つづく

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