2018年12月18日 (火)

「上半身と下半身」

どんなショットを打つにせよ、地球(地面、テニスコート)から力(エネルギー)をもらって、下半身に力を溜める(もちろん足の裏からもらう)。 上半身の力は抜けている。 上半身の力が抜けていないのに力を入れても、リキんだところに力を入れているだけなので効果がない(言い方を変えれば、力が抜けているところに力を入れるから、パンチが効く)。 力の抜けたスイングは、初速はゆっくりで、終速が速くなる(もちろん飛んでいくボールも)。 プレー中に力を抜くのは難しい。 力が抜けないと、瞬発力は生まれない…。

2018年12月 4日 (火)

続・「身体で考える」

続けます。 『そのためには、ヨーガが役立ちます。身体の声を聞き取ることができるようになれば、ものごとの「ほんとうのこと」を見通せるようになるのです。他人に頼らず、自分の感性、自分の頭で判断できるようになります。  それが、「身体で考える」ということの本質ではないでしょうか。  身体で考えるようになるためには、まずは自分の身体を大切に扱うことです。自分の身体を粗末に扱う人は、心にもほころびが生じ、豊かな人生を送れません。 肉体を大切に扱えば扱うほど、心の柔軟さが増してきます。心身が柔軟になると、人生の楽しみが倍増していきます。』 合掌。 成瀬先生の言葉は、不思議なぐらいストンと腑に落ちる。 残念ながら僕は、ヨーガをしたことがない…。                   おしまい  

2018年12月 3日 (月)

「身体で考える」

生きていれば、辛いこともある(好きなテニスをしても、上手くいかない事の方が多いだろう)。 物事が思うように運ばないと、あれこれと頭で考えがちだ。 そんな時に僕は、成瀬雅春先生(ヨーガ行者)を思い出す。 成瀬先生の為になる話。 『身体で考えるとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。頭脳を働かせないで、身体を使うことですか?  それは、単なる肉体労働です。「考える」というキーワードが抜けています。  頭脳も身体の一部です。「身体」には、「頭脳」も含まれていることを忘れてはなりません。つまり、「身体で考える」とは、自分の持つありったけの総力を駆使して、ものごとを熟考するということなのです。』             つづく

2018年11月27日 (火)

続々・「僕が「球出練」で心掛けていること」

重いボールを出すためなら、右腕一本どうなっても構わないという開き直りが功を奏しているのだろうか??? 軽いボールで「球出練」をしても上達しないから…。 僕は「重い人間」でありたいと思って生きている(酔っ払った時に女性を口説く時の軽さは半端ないが…)。 「軽い人間」に重いボールは出せない(酔っ払っている時の僕は別人だ!と軽く言い訳)。 大袈裟に聞こえるかもしれないが、僕は出すボールに「魂」を注入している。 おしまい

2018年11月26日 (月)

続々・「僕が「球出練」で心掛けていること」

手でボールを出す時は、骨が折れるけれど、左手で持ったボールと右手で持ったボールを身体の後ろでぶつけることで衝撃を与えてエネルギーを生んでから出す。 疲れて僕の「気」が抜けてきたら、師匠(会ったことはないが)に教わった沖縄古伝空手の「三戦(さんちん)」の構えをして「気」を入れなおす。 僕は自分が出したボールを受けたことがないが(当たり前だけど)、僕が出したボールは、さぞかし重くて「気」の入ったボールになっていることだろう。 ラケット出しで使う僕のラケットは、ありえないぐらい重い(オモリがベタベタと貼ってある)。 我ながら、あれだけの球数を出してるにもかかわらず、右腕(肩、肘、手首など)を故障しないでいることが不思議で仕方ない(丈夫な体を与えてくれた両親に感謝!)。 つづく

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